「シリウス文明がやってくる」 Kagari ∞ Kazuki より転載
2008年10月30日
奉仕は、無私でなければ意味がない
奉仕ということについても、多くの誤解を招くことがあります。
奉仕、ボランティアについては、「無私な奉仕」が大切であることは言うまでもないでしょう。
「無私な奉仕」とは、そこに、何らかの見返りを求めてはいけない、何らかの利益を期待してもいけない、ということです。
純粋なる思いやり、優しさからでなければ奉仕、ボランティアということの意味が無くなります。
奉仕、ボランティアの精神について、自ら進んで行ないたいという気持ちは大切なことだとは想いますが、ここで注意すべき点があるでしょう。
奉仕をしたい、ボランティアをしたいという私たち自身が、心から幸せであることです。
私たち自身が、幸せな気持ちで生きていなければ、私たちの奉仕、ボランティアの精神には、どこかで、無理が生じていると云えるかもしれません。
身分に相応しいことが大事であるということも云えるのではないでしょうか。
何百万円、何億円という大金を寄付することだけが、奉仕やボランティアではありませんし、お金に余裕がないのに、身分不相応な金額をそこに費やすというのも本末転倒です。
自分自身に余裕がなければ、奉仕やボランティアの意味がないということです。
キツイ言い方で申しますと、偽善者だと受け取められてしまうでしょう。
奉仕やボランティアの基本は、自分自身を大切にすることから、始まるのではないでしょうか。
誰か、他人を信じるためには、その前に、自分自身を信じることが大切です。
誰か、他人を幸せな気持ちにするためには、まず、自分自身が幸せを観じていなければ相手には伝わらないし、それが偽善と受け止められてしまいます。
それは、何故かと云えば、一方的な「押し付け」だと受け止められてしまうからであり、思いやりや優しさという、愛のある想念とは異なってきます。
それは、奉仕やボランティアをしているのだという、自分自身のエゴからなる優越感に浸っているだけで、そのことで賞賛を得たい、名誉を得たいという、全くの別物になってしまうのではないでしょうか。
よく、震災のボランティア活動というものがありますが、震災地へ赴いたものの、トイレが完備されていないだとか、ボランティア活動をしている自分たちの食糧や寝床はどうなっているのかとか、単に、旅行をしに行っただけなのではないかということで、かえって、ありがた迷惑だということが多々あるそうです。
自分自身が幸せを感じているので、誰か、他の人にも、幸せを感じてほしい、という想いから奉仕やボランティアを行なうほうが、エネルギー的にも、自然な流れなのではないでしょうか。
笑顔が、笑顔を伝染させていくように、自分自身の中にあるものを伝えていこうとすることで、光を発信する、伝達することに繋がってゆきます。
自分自身の行ないはすべて、自分自身に返ってくるという宇宙の法則が分かっていれば、奉仕やボランティアの行ないを、相手や世間に対してわざとらしく知らせなくても、また、見返りの気持ちを持つ必要もないわけです。
それは、巡り巡って、思いがけないときに、また、自分自身の元に返ってくることが分かるはずです。
“流れて離れて 咲き散ったとしても
全てのものには 皆意味があるから”
“甘えて抱きしめ まっすぐ信じていたい”
滴草由実 さんが唄う 『GO YOUR OWN WAY』 のPVです。
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