シリウスの書庫

閉鎖されたブログ「シリウス文明がやってくる」の転載記事を元に、弥勒の世を目指すライトワーカーの為の先達の教えを解説と共に紹介しています。

ピンチはチャンス その2

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シリウス文明がやってくる」 Kagari ∞ Kazuki より転載

2007年11月06日 

ピンチはチャンス その2

前回の記事の出来事から、さらに2年ほど遡ります。

 

その年の秋頃から急にですが、お尻の辺りから脚の側面にかけて痛み出しました。

何の前触れもなくです。

 

いろいろと病院に行ってみましたが、確かなことを言ってくれる医者もいません。しばらくすると、痛みがさらに悪化し、歩行が困難になりました。

 

そして、ついにはベッドから起き上がれなくなり、救急車で運ばれる事態になってしまいました。

 

椎間板ヘルニアで、手術を施さなければならないほど、急激に悪化してしまいました。

 

病院の中でも、車椅子に乗るのがやっとで、文字通り、動けない状態となりました。

 

1年でも最もイベントの多い楽しい時期でもある、12月から1月の間を病院で過ごすはめになってしまったのです。

 

手術をしなければならない箇所も2箇所あり、また最も手術が困難な場所だとも言われ、最悪の覚悟はして頂きたいと医者から告げられました。

 

このとき、全く不安や恐怖がなかったかといえば、嘘になりますが、何でこんな目に合わなければならないのかと想いつつ、恐れの気持ちでビクビクしていたことは隠しようがありませんでした。

 

私の恩人でお見舞いに来てくださった方が、“神経をおかしくするということは、神経=神の道で、神の道を学びなさい、ということなんじゃないの?”と言われたときには、目からウロコが落ちる想いでした。

 

なるほどな、と想いました。

 

 

手術は年明けのいわゆる仕事初めの日だったと記憶していますが、正月の三が日に、とてもリアルな夢を観ました。

 

私が霊能者を訪ねに行く夢でした。

 

現実の世界では出会ったことのない人たちです。

 

ある3人で海岸らしい場所にいて、崖の中腹から綱を伝って降りていきます。

 

霊能者を訪ねてバスで行くのですが、途中、江ノ島の海岸のような、もしくは、北海道の海岸のような景色が続きまして、着いた家は、沖縄にあるような佇まいをしていました。

 

その家に入っていくと、居間に通され50~60歳代ぐらいに見える女性の霊能者がいて、「あなたと私(霊能者)とは、お互いに会う必要がありました」そして「目の前に置いてある、壺に書かれてある文字を読みなさい」と言われましたが、何て書いてあるのかは読み取れませんでした。

 

そして、奥に案内されました。

 

いったん、家から外に出ると、リクライニング・チェアが2つあり、それぞれに、40歳代ぐらいの男女がくつろいでいました。

 

私の存在に気がつくと、声を掛けてきました。

 

「(霊能者の)お告げを、君は受け取ることが出来なかったように想うだろうが、それは、君の魂の中に入っている。

 

今日、君は確かにここに来たし、君がここに来たことは、意味のあることであり、気になるのなら、また、訪ねてきてもいいだろう」と私に告げました。

 

私は名残り惜しくなり、せめて電話番号でも聞こうと、再び家の中へと入っていきました。

 

中へ入ると霊能者は80~90歳代ぐらいのお婆さんに変わっていました。

 

お婆さんは、「よく来たね、会えてよかったね」とお互いに出会えたことを感動して抱き合いました。

 

そして、家の電話番号を教えてくれましたが、その番号は、3383-3383-33893でした。

 

別れの挨拶を交わし、お互いに深々と何度もお辞儀をし、ありがとうございました、とお礼の言葉を言いました。

 

霊能者は帰ろうとする私に、家の中に置いてあったざるに入ったお菓子やら果物やら観光地のパンフレットのようなものなど、あれもこれもと、私の両手の上のざるの上に、どんどん載せていきました。

 

霊能者は、「玄関まで見送る」といい、私と一緒に玄関まで行きました。

 

しかし、霊能者はそこで別れずに、「連れて行きたいところがあるんだよ」と、家の勝手口から出て歩いていった方向に、中国風な造りの五重塔のようなものが建っているのが見えました。

 

その建物の前には、池もしくは湖のようになっていて、その手前の柵から眺めるような感じになっていました。人も結構たくさんいました。

 

すると、さっきまでお婆さんだったはずの霊能者の姿が、今度は、20歳ぐらいの女の子の姿に変わっていました。

 

外見は、少し茶色っぽいセミロングの髪で、おさげに赤と白のガラス玉が交互にあって、両耳にはイヤリングをしていました。

 

服装は白い衣装で、古代の大和民族卑弥呼などのシャーマンを思わせるような格好で、首や腕には、勾玉などたくさんのアクセサリーを身につけていましたが、やはり、現実の世界では出会ったことのない顔をしていました。

 

その20歳ぐらいに変身した霊能者の女の子と、談笑をしながら、境内のような場所を歩いていきました。しばらくすると、階段がありまして昇っていくと、お土産店などが軒を連ねていました。

 

そこで、霊能者の女の子は、もうひとつ、私にプレゼントしたいものがあるといい、ポンカン?のような言葉の響きに似た名前の果物のようなお菓子で、直径3cm大ぐらいのローズ・クオーツに似たピンク色の玉が、透明な円柱状の筒にたくさん入っていたものを、私にくれました。

 

境内を出ますと、私のお迎えの車が来ました。そこからの霊能者の女の子との会話がまた、ハッキリと記憶しているのですが、「私はいま、ヘルニアで入院してて、おまけに携帯電話が止まっているから、しばらく、連絡が取れないよ」と私がいうと、女の子は「えー、そうなの?」と少し驚いていて、私に連絡先の番号を教えようとしました。

 

私は「さっき、聞いたよ」と答えると、「あれは、家の番号だから」と、名刺に携帯電話などの番号だと想われるような数字の番号を4つ書いてくれました。

 

090-3392-○○○○

3392-○○○○

3393-○○○○

33○○-○○○○

 

という具合で、この番号はハッキリ覚えていません。

 

私が「ヘルニアの原因は何なのかなぁ?」と聞くと、「ペリカン...ホテル...」と2つのキーワードを私に教えました。

 

「じゃぁ、どうすればいいの?」とさらに聞きますと、「自分自身の心を、もっと高めていかなければいけないのよ」と女の子は答えました。

 

ここで目が覚めたのですが、この夢のエピソードは、忘れないようにと病室でメモした内容でした。

 

あれから数年が経ち、いま思い返してみますと、夢の中に出てきた霊能者たちは、私の守護霊団や守護天使たちだったのでしょう。

 

私の手術は無事に成功し、いま、こうして生きているわけですが、いまあるこの生命は、私だけのものではない、私は生きているのではなく、ある目的のために生かされているのだ、ということがよくわかります。

 

このときから私の、ある意味、本格的なスピリチュアル・ライフが始まったのでしょう。

 

 

人は、本当にピンチが訪れると、私の体験のように、スピリチュアル・ワールドや、スピリチュアル・ガイドとのコンタクトが始まるチャンスを与えられます。

 

本当に自分はどうにもならない、お手上げだ、となったときに、天上界のほうから、救いの手が差し伸べられるのです。

 

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