「シリウス文明がやってくる」 Kagari ∞ Kazuki より転載
2008年09月02日
肉体よりも魂を救うほうが大事
このことについては、私自身、散々体験させられました。
以前に、「スピリチュアル・テスト」の記事で書かれてあった通り、私自身も、スピリチュアルの世界について学んでいる最中、そういうことを一切無しにして生きたいと想ったことが何度かありました。
つまり、スピリチュアルなことは無しにして、3次元の物質界のみに、どっぷりと浸かって生きたいと。
そうしますと突発的に、呼吸困難になって救急車で運ばれて、生死の境を彷徨ったり、突然に、ヘルニアになり、そのまま急激に悪化して、数ヶ月間程の入院を余儀なくされたりです。
そのたびに気づかされることは、スピリチュアルな世界について、もっと学びなさい、それを抜きにして生きることは出来ないのです、ということでした。
それは、友人・知人の口を通して、さりげなく伝えてきました。
例えば、ヘルニアの時には、お見舞いに来てくださったある知人が、「神経をおかしくするというのは、神の道を学びなさいということでは?」
という具合にです。
つまり、肉体的に苦痛が伴おうがどうしようが、まずは、魂のほうが成長しなければ意味がない、ということになります。
それは、スピリチュアル・ガイドたちの視点から観れば、あなたの魂を救いたい、もしくは、あなた自身がまず、魂を救う必要があります、ということになります。
「スピリチュアル・テスト」について、私は普通に現実生活をしている中で、スピリチュアルな世界の情報を口頭でお伝えする機会がしばしばあります。
それは、その相手が興味を示したからであり、こちらから強引にお伝えするわけではありません。
私は、スピリチュアルな世界については、それを、聞く耳を持つ方にだけしかお伝えしません。
このブログは、私の学びが何らかの共有になればという想いで書かれているのでありまして、それがいつの間にか、1日約1000人の方々に読んで頂いていますのは、とてもありがたく想っています、どうもありがとうございます。
しかし、私の話すことが、あなたにとっては必ずしも、真実ではないかもしれません。
ですから、何か違和感や嫌悪感を観じて、読みたくなければ読まなくてもいいわけです。
私は、このブログを公開するのに、閲覧料はお取りしていません。
されど、私は誰かを誹謗中傷したり、特定の誰かを不愉快にさせるような発言はしないように、なるべく気をつけて発言をしています。
それでも尚、そのようなことがあった場合は、私の学びが足りないところと、私の不遜の成すところです。その際は、深くお詫びいたします、誠に申し訳ございません。
話が逸れましたが、その数少ない口頭でお伝えする方が、最初は、意気揚々と聞いているのですが、そのうちに恐れを成して、私の人生から突如として離れていきます。
私の人生から離れていくのは、少し切ないですが、それはそれで構わないと想うのです。
その方が、新たなスピリチュアルの師となり、その方の周囲の方に、正しい情報を伝えていってくだされば、私は伝えた甲斐があった、それだけで幸せでした、と想えます。
しかし、その方々の恐れというのは、例えば、宇宙の法則でいうところの、「自分から発した行動・想念は、必ず、自分の下に寸分違わず返ってくる」
また、この世界でいうところの3次元領域、4次元領域が無くなり、多次元領域の宇宙へ溶け込んでいく中、隠し事が出来なくなる、秘密が持てなくなるということがあります。
つまり、心の中が明け透けになってしまいます。
その頃ちょうど、邦画で、『サトラレ』という映画がありました。
この映画は、自分の中の想いが、相手に明け透けに聞こえてしまうというもので、この映画の影響があったのでしょうか、そのことについて、極度に恐れている様子がありました。
違う例では、コレクション収集家の方がいました。
この物質界が無くなってしまうということは、いまある物質的な所有物を手放さなくてはならないかもしれません。
そこまで極端ではなくても、過度な物質への執着心は捨てる必要があります。
彼にとっては、これまでやっとの想いで貯めてきた、コレクションの数々を手放さなければならないことに、極度の恐れを抱きました。
これらはもう、5年以上も前の出来事であり、私自身もまだ、スピリチュアルな学びが稚拙すぎて、うまく伝えられなかったかもしれません。
「スピリチュアル・テスト」から云えることは、スピリチュアルな世界の情報を受け取り、知ってしまった者は、もう後戻りは出来ないということです。
つまり、知らなければ罪にならなかったことが、それを知ってしまったことで、スピリチュアルな学びが試されるということになります。
これは、人によっては、肉体的な、もしくは、精神的な苦痛を伴うかもしれないです。
それは、魂を救うためのことですが、スピリチュアルな情報を知ってしまったことでスイッチが入り、その方が、自らの魂を救うように、自らが自らを揺り動かすということです。
しかし、私は本当に、彼らにスピリチュアルな情報を伝えて良かったのだろうかと、ときどき、悩むことがあります。
それは、私自身の「スピリチュアル・エゴ」であり、彼らが、受け取る準備も出来ていないのに、強引に伝えてしまったのだろうかと悩みました。
彼らがいまも、幸せに暮らしていることを願って止みませんが、肉体よりも魂を救うことを最優先させるスピリチュアル・ガイドたちに対して、私たちは何も分からずに、罵詈雑言を浴びせてしまうこともあるでしょう。
しかし、肉体よりも魂を救うことを最優先させるというその大切さは、私たちが、この肉体のみに生きているわけではないという証なのであり、いまは分からなかったとしても、いずれは、スピリチュアル・ガイドたちに感謝をする日がやって来ます。
それは、もしかしたら、ある時期にそれを行なうように、スピリチュアル・ガイドたちと約束をしてきたのかもしれないのですから。
ただ、私の場合は、極端な例かもしれません。
いずれにしましても、スピリチュアルな世界と、この世界との、中庸で生きることが大事です。
“ハリケーンは 時には 痛みを洗い流す方法になります”
“ハリケーンは 時には 再びあなたを取り戻すのに うってつけのものになります”
Eric Benet さんが唄う 『Hurricane』 のPVです。
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