シリウスの書庫

閉鎖されたブログ「シリウス文明がやってくる」の転載記事を元に、弥勒の世を目指すライトワーカーの為の先達の教えを解説と共に紹介しています。

「信じる」とはどういうことなのか

シリウス文明がやってくる」 Kagari ∞ Kazuki より転載

2008年10月21日

「信じる」とはどういうことなのか

あまりにも深い闇に包まれて、先が見えない、前が見えない、どうにもこうにも進んでいけないと想うとき、自信を持てと言われたとしても、無理だと想われるかもしれません。

 

しかし、そんなときだからこそ、信じるべきものは、何を差し置いても、自分自身しかいないのです。

 

信じる = 神事る

 

ということで、信じるとは、神の事のようになる、神のように想うことであり、それは、自分以外の他人を神として求めるのではなく、あくまでも、自分自身の内側に求めていくことです。

 

辛いとき、悲しいとき、寂しいとき、切ないとき、誰か他人にすがりたくなる気持ちは誰にでもあります。

 

しかし、そんなときだからこそ、自分自身の内側を見つめていくのです。

 

そのときの自分自身の感情から逃れようとしないで、あえて、向き合っていくのです。

 

誰でも、人は弱いものです。

 

その、自分自身の弱さを認めることが、強さへ向かう道です。

 

これは、勇気がいることです。

 

自分自身の弱さを認めることが出来たからこそ、他人の弱さを想い、他人に対して、優しさと思いやりとを示すことが出来ます。

 


神のようにとはいっても、なかなか、そのような視点には立てないというなら、3次元的に、自分自身が親の立場に立ち、相手を自分自身の子供のように観てみることでしょう。

 

親は子供を叱りますが、それは、先輩からのアドヴァイスであり、ひとつの参考資料です。

 

次は、あなたを守護している、天使や、善なる高次元のスピリチュアル・ガイドたちの立場に立って、物事を観てみましょう。

 

あなたが、守護している存在だとしたら、あなたが守護している人に対して、どのように想い、接するでしょうか。

 

天使たちは、何でもかんでも、あなたの質問に、はい、はい、とは答えません。

 

ときには、自分自身で考えてみましょうと、突っぱねることもあります。

 

参考になる本などの資料を示して、そっぽを向いて、ただ黙ってじっとしていることもあります。

 

そのような、あなたを守護している存在の視点に立つことが、内なる神を見出すための基本となります。

 


“なにげない日々も つまずきそうな日々も 信じれる 必ず 幸せになろう”

 

mihimaru GT 『幸せになろう』 のPVです。

www.youtube.com

 

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