シリウスの書庫

閉鎖されたブログ「シリウス文明がやってくる」の転載記事を元に、弥勒の世を目指すライトワーカーの為の先達の教えを解説と共に紹介しています。

あくまでも「自分自身を中心軸に置く」ことが大切

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シリウス文明がやってくる」 Kagari ∞ Kazuki より転載

2009年10月14日

あくまでも「自分自身を中心軸に置く」ことが大切

「自分自身を中心軸に置く」ということが大切であることも、度々、お伝えしていますが、これは、そうすることで、光のネットワークに繋がり、スピリチュアル・ガイドたちと繋がり、やがては、宇宙の根源に繋がってゆくために大切だからです。

 

逆に云えば、自分自身を中心軸に置いていないと、光のネットワークから外れてしまい、スピリチュアル・ガイドたちとも繋がりにくくなってしまう、彼ら彼女らの声が聞き取りにくくなってしまう、という状態に置かれます。

 

この、「自分自身を中心軸に置く」ことは、一般的な生活の中では、どのような意識状態にあると云えるでしょうか。

 

それは、自分自身を大切にすることであり、これを抜きにして、他の誰かに対して、お節介を焼いたりするのは、文字通り、余計なお世話となってしまいます。

 

よく、ボランティア活動、奉仕活動と呼ばれるもので陥りがちなことは“私は、あなたのために、こんなにやってあげているのに!”というような、一方的な押し付けがましい想いが強過ぎてしまい、そこに、自分自身が無くなっていることです。

 

これは、自分自身の中心軸から外れています。

 

自己を無にして、他人のために奉仕するのが美徳だと想われている方がいらっしゃるとしたら、それは、本来の光の道からは外れてしまっているということです。

 

ここで、「自分自身を中心軸に置く」ということは、自分自身を大切にして、自分自身が快適に生きるために、自分自身が快く過ごしてゆくために、その延長線上に、他人のために行動するということです。

 

なぜかと云えば、「この世界」の現実を創り出しているのは、他の誰でもない、自分自身であるからです。

 

これは、自己中心的、利己的である、ということとは、全く違います。

 

自分自身を蔑ろにしたり、卑下したりしないということです。

 

自分自身は、神の分身、分霊であるので、自分自身は、大切で愛しい存在なのであり、その存在が、善いも悪いも関係なく、外界の現実を反映しているのです。

 

それはまた、自分自身に傲慢になることや、ナルシストというような自己陶酔とは違います。

 

自分自身が、周囲の外界を映し出しているので、「自分自身を中心軸に置く」ことが一番大切であり、それは、自分自身の直観や閃きから来る感覚というものを大切にすることです。

 

私の場合を例にしてみますが、私がこのブログの更新を続けているのが、自分自身を無にして、誰か他人のためだけに…という想いであったとしたら、それは、自分自身の中心軸からは外れていることになります。

 

それでは、逆に、自分自身を中心軸に置いている場合は、私は、自分自身のために、このブログを更新していて、私が、自分自身のために役立っているのであれば、他の誰かのためにも役立つかもしれないという、自分自身の延長線上に、「他の誰かのために」がある、という状態が相応しいということです。

 

これを一般的なことに例えるとしたら何らかの商品を提供するような仕事であった場合に、自分自身が楽しい、嬉しい、心地よい、快適である、というような想いで仕事をしているのが主軸にあり、その延長線上で、他の誰かに対して、どのようにすれば、その自分自身の、楽しい、嬉しい、心地よい、快適である、などの想いを込めて提供出来るかという視点に立つことが大切であるということになるでしょう。

 

ですから、「自分自身を中心軸に置く」とは、自分自身の気持ちを全く無視して、他の誰かのことを考えるのではないということです。

 

しかし、それは、自己中心的、利己的な、我がままから来るものではなく、自分自身を大切にしようとする、優しさや思いやりから来るものであることです。

 

換言すれば、内なる光を、外へと放出していくことであり、これこそが、自分自身を中心軸に置いている状態です。

 

 

“見えない糸で 心繋いでるんだ 僕らはそれに乗っかってやりとりしてるんだ”

 

“真っ暗な夜が来たって どしゃ降りで見えなくたって 僕のプラットホームは 君といつも繋がっている”

 

school food punishment 『sea-through communication』 のPVです。

www.youtube.com

 

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