転載元:「シリウス文明がやってくる」 Kagari ∞ Kazuki
2009年12月02日
光の住人も、闇の住人も、平等に変容進化が可能となっている
私たち生命体の、霊性進化において、この時期は、大いなる変容の時期に差し掛かっています。
この時期を乗り越えるために、そして、大いなる変容を迎えるためには、現時点で、光の住人であろうと、闇の住人であろうと、全く関係がないのです。
双方に、平等に、進化の機会が与えられています。
特に、闇の住人については、何か後ろめたいものがあるかもしれず、どうせ、俺たちはよ…という想いがあるかもしれません。
また、光の住人は、闇の住人の所業を決して許せないというジレンマに陥っているかもしれません。
数多の宇宙種族たちの宇宙の歴史は、いつも、光と闇の戦争です。
そして、いつも、双方の核戦争によって、崩壊、滅亡という現象によって、その幕を閉じさせられたのです。
宇宙の歴史の約3000億年近く、飽きずに、懲りずに、いつも、ずっと、このことの繰り返しです。
光の住人によって、許せないと想われる、闇の住人の所業は、彼らの方法論に過ぎないのです。
物事をポジティヴ側から観るか、ネガティヴ側から観るかの視点の違いです。
双方の進化の方法論が、両極端に位置しているのであって、進化の到達点は一緒です。
私たち生命体が、究極の進化のために必要なことは、天秤の真ん中に歩み寄ることです。
光の住人も真ん中に、闇の住人も真ん中にです。
ならば、闇の住人は、光のほうへ、歩みを進めてゆけばいいだけです。
暗闇のトンネルを歩き続けて、微かな光を目指して、突き進むだけです。
魔界の閻魔大王は、鬼のような形相でこのように言います、“明かりが灯すほうへ、暗闇を、ただ、突き進みなさい”と。
ちなみに、魔界の閻魔大王は、光側から観ますと、国之常立神(くにのとこたちのかみ)さんです。
物質界という「この世界」で、前科者というレッテルを貼られていようが、関係がないということです。
何でも有りな「この世界」では、悔い改めることで、光の世界へ入れるのです。
それは、罪悪感を捨てることです。
また、光の住人の足枷になっているのが、闇の住人を許せないという感情です。
その足枷を外すことが出来たなら、真なる、真ん中の光の道へと入ってゆけるはずです。
それは、許しを実践することです。
すべては、物質界という「この世界」のみで、起こっていることではないからです。
これは、宇宙の歴史の、あるひとつの総決算です。
ですから、私たち一人ひとりが、霊性進化という大いなる変容を迎えるためには、双方の核戦争、核爆発で幕を閉じるという選択肢を選ぶことではありません。
双方が、真ん中のほうへと歩み寄る、つまり、融合、統合してゆくということです。
“何日もこのような雨が降るのを感じる だから 雨を降るままにさせて 何もかも洗い流して 明日は太陽が輝くことを願うから”
CREED 『Rain』 のPVです。
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