「シリウス文明がやってくる」 Kagari ∞ Kazuki より転載
2008年11月19日
「奇跡」を求める必要はない
多くの方々は、「奇跡」を期待するかもしれません。
例えば、このブログは、海外の国々から閲覧してくださっている方もいるということで、イエス・キリストさん、もしくは、キリスト意識を身近に観じる方々にとっては、特に、「奇跡」とは、いつも、心の奥底で心待ちにしている期待や希望であるかもしれません。
一般的な普通の善人である方々にとって、「奇跡」という言葉や、出来事、現象には弱いものでしょう。
人は、「奇跡」のニュースを耳にしたり、目にするとき、私にも、あんな「奇跡」が起きないだろうかと期待します。
もしかしたら、ひょっとしたらと、心の何処かで期待や、希望をしているのが、「奇跡」というものでしょう。
このようなことが、私たちの弱点として響く言葉であるのならば、それこそが、思い違いというものです。
それは、次のようなアファメーションをしているようなものです。
「わたしは身も心も、あまりにも貧しく、恵まれない存在です。そんなわたしに奇跡を起こしてください。」と。
つまり、ポジティヴ思考とは全く逆のことを、宇宙に宣言しています。
よく云われることだと想われますが、地球の、この世界に生まれてきたことが、すでに奇跡です。
それは、宝くじで3億円を、続けて100万回以上当てることよりも、極めて希少な確率であると言うマスターもいらっしゃいます。
宇宙には、この地球に肉体を持ってどうしても生まれて来たくてしょうがないと想っている存在たちがたくさんいました。
それは、宇宙のすべての領域の中で、この地球の物質界に来ることが、霊性進化の最短コースを選択出来るからです。
しかし、そのほとんどの者たちが願い叶わず、ならば、いま居る地球人類たちに願いを託そうと、ガイドに回っているか、もしくは、地球とそこに住む地球人類たちの動向を、そっと見守っている存在たちは、数限りなく、たくさんいます。
このような、貴重な「奇跡」体験を乗り越えて、地球に生まれて来たのですから、この世界には、ここにも、あそこにも、「奇跡」に満ち溢れているはずなのです。
そのような「奇跡」の惑星地球の中に存在しているのだという地球意識を超えた宇宙意識に変換出来たなら、私たちは、いつも、「奇跡」と隣り合わせに生きているということが云えるはずです。
ですから、“奇跡が起きてほしい”と想うのではなく、“奇跡はすでに起きている”と想い続けることがより最善な選択なのではないでしょうか。何故かと云えば、“奇跡はすでに起きている”からです。
“奇跡はすでに起きている”から、私たちは、ここに居ます。
そして、“奇跡はすでに起きている”と想うことで、“奇跡はすでに起きている”現実を迎えることになります。
“もしつらいこととかが あったとしてもそれはキミが きっと ずっと あきらめない強さを持っているから僕らも走り続けるんだ”
Perfume 『Dream Fighter』 のPVです。
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